嵐のように過ぎ去った1

昨年大晦日から入院していた父方の祖母が
日曜日に肺炎で亡くなりました。
母方の祖母と比べて認知症の進行が早かったせいなのか、
はたまた年齢差のせいなのか、
炎症は治まらずに酸素濃度も回復せず、
日に日に弱っていったそうです。

叔母達はそろそろ命が危ないと感じていたようで、
祖父がセレモニーホールへ自分で予約をしていて、
月曜日の朝にはそこへ集合。私と両親は念の為に二台に別れて
向かいました。両親の車が発進してからも私はチンタラしてました。
携帯ナビをセットしようとしたら屋根から出さないとGPSを掴んでくれないので
結局地図で細かい位置を確認するだけに留めました。
道順を迷うような場所ではないので交通渋滞を除いて順調でした。
約束の時刻より早く着き、暫くしたらホールの職員が確認しにきたら
既に祖母は通夜の部屋に運ばれていました。
月曜日は友引なので昨夜に通夜を行った家が無かったらしい。
部屋には祖母の生家の跡継ぎ(父の従兄弟)が一番乗りをしていました。
祖母の亡骸を確認してお線香を上げ、お茶を飲みながら
くつろいでいました。暫くして伯父が到着、叔母も来ました。
義叔父は祖父を山から連れてきてくれてました。
あとは皆で各関係者への連絡やホールの職員との打ち合わせを
ずっと行なっていました。遺影については、
私がトリミングした祖母の写真データが役に立ちました。
服装は合成テンプレートがあり、それっぽいのを選んで合成してくれます。
元の写真は半纏姿なので、正装とまではいかなくても
あるていどきちんとした格好の写真にした方がいいです。

私と母は手伝える事が無いので、お昼前に大きい方の車で
一度帰宅しました。姉も仕事を早退して通夜に来ることになっていますが
通夜の時刻に合わせて来れば十分なので新幹線も調整してもらいました。
自室でくつろいでから母と再度出発。長野駅で姉を拾い、
セレモニーホールへ行くと親戚縁者がそれなりの数揃っていました。
流し台の所で作業していた義伯母と従妹に挨拶して、
部屋を見れば父は部屋の奥でずっと打ち合わせをしていました。
適当に過ごしている内に和尚も到着、時間になって通夜が始まりました。
儀式の後の食事を終えて、父を置いて帰宅。父も割とすぐに帰って来ましたが。
火曜日はもっと疲れます。

COMMENT 2

kero  2012, 03. 07 [Wed] 19:52

No title

ご愁傷様です。
こういうことは後になってぐっと疲れるのでお気をつけください。
とにかく体を休めてください。

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タンバリン  2012, 03. 07 [Wed] 21:08

気疲れが大きい

お気遣いありがとうございます。
父方の祖母は典型的な認知症で施設入りだったのと
伯父の家族と叔母が掛かりっきりだったのもあって
我が家としては父が動いていた程度で
日常的な苦労はなかったのですが、
葬儀となれば話は別ですね。
今週はゆっくり休みます。まあこれまでも
ようなものですが。

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