嵐のように過ぎ去った2

月曜日は疲れ切っていて、次の日の事も考えて
23時台に寝ました。幸いだったのは住職の都合で
葬儀の時刻が夕方だったこと。
火曜日は早く起きて適当に過ごし、家族と食事を済ませ、
準備を整えて出発時間まで休んでいました。
姉は葬儀の後で東京に戻るので荷物を纏めていて、
父は各種準備。そして昨日と同じ場所へ出発。昨日みたいに
分乗の必要が無いので1台で行きました。

集合時刻の20分前に到着し、部屋へ入るところで
昨夏に出産した従妹が叔母と一緒に居たので挨拶。
下足入れの所で旦那さんが赤ちゃんを抱いていたのを
姉が喜んで触ってました。部屋でもう一人の従妹とも挨拶。
父に頼まれて車で作業して戻ってきたら納棺が始まっていました。
祖母は既にお棺の中に入れられたところで、
紙で見立てた死装束を纏わせる所でした。
草鞋の所で呼ばれ、職員の言われるままに祖母の足に乗せました。
4年前、母方の祖父の時とやる事は殆ど一緒でした。
宗派が同じなので当たり前と言えば当たり前ですが。
ただ、三途の川の渡し賃としての六文銭について、
「長野県では真田幸村ゆかりの地として横3列としています」
どっちでもいいです。あと、清めの塩についても
県内の仏式においては「死んだ人は穢れてはいないから」の理由で
扱わなくなったそうです。月曜の通夜の時、何で無いのか
疑問だったのでその謎が解けて安心しました。
神式の場合は穢れは禍事全体を指す意味合いから絶対に必要らしいです。

出棺したら山の上の火葬場へ向かいます。
霊柩車は2人まで乗れるから伯父夫婦が遺骨と位牌を持ち、
一人娘の従妹は別の車で。納棺前に父に頼まれていたのは
ナビのセットだったのですが、霊柩車とマイクロバスの間に
別働隊の乗用車を3台挟んで、5台連なって現地まで行くので
ナビを使う必要性がありませんでした。
現地に到着。市街地ではすっかり消えた雪がまだ残っていました。
到着したらすぐに荼毘(火葬)が始まります。
焼かれている間は別の待機所で簡単な食事をしながら
お線香を絶やさずに上げに行き、1時間。
すっかりお骨になってしまった祖母。伯父達は
骨の形が残っていないのに驚いていましたが、
4年前に母方の祖父を火葬した時よりも骨が残っている感じで
私は逆の意味で驚いていました。形の残っている骨を渡し箸で
お骨箱に入れ、最後は職員が入れ、また葬儀場へ戻りました。
行きに使ったショートカットが分からなかったので
本道から回ったら後発のバスより少し遅れてしまいました。
叔母の家というか従妹の旦那の車は私の運転する車に
律儀についてきたので2台して遅れました。


告別式の会場には、祭壇がセッティングされていて
開始時間までは上の階でくつろいで待ってました。
その間に従妹の赤ちゃんに触れる機会があり、
叔母が持ってきて抱かせてもらいました。
人見知りが始まってすぐに泣いてしまうそうなので
ほんの2、3秒だけ抱いてすぐに返しました。
女の子ですがほっぺがぷっくりしていて可愛いかったです。
式の時間になり、会場へ着席。住職がお経を唱えている間に
一般の弔問者の焼香、喪主も含めてお斎の参加者の焼香、
弔電の読み上げなど、滞りなく進行していき、1時間程度で終了。
関係者以外の弔電といえば議員さん。市議会議員と県議会議員が一人ずつと
毎度おなじみの小坂憲次。お悔やみ欄見て毎日弔電送るのは
お金掛かるだろうに。

2階に戻ってお斎の会場でお食事。姉の新幹線の時間もあったし、
あまり知っている人が居ないので出てくる料理を姉と二人して
すぐに平らげてました。全く時間に余裕が無かったわけでもなく、
従妹3人や父方の親戚とそれなりに話しました。
姉をそろそろ長野駅まで連れて行く頃合いかなーと思っていたところで
従妹が旦那だけ東京に戻って自分は赤ちゃんと数日滞在してから
車を運転して東京に帰るという段取りになりました。
従妹の旦那としては奥さんの祖母の葬式だから
1日しか休みが取れなかったそうです。
二人を乗せて長野駅まで行き、姉は荷物を纏めていたので
駅からは別行動になったみたいでした。
会場へ戻ると、何人かは帰ったみたいで静かなものでした。
叔母と従妹に報告し、それから適当に過ごして解散となりました。
帰宅したらもうフラフラ。今、母方の祖母がまた入院なんて事になったら
母が入院しそうな勢いなので、何とか3ヶ月くらい頑張ってもらいたいです。

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